ワーママ弁護士奮闘記in東京

仕事と子育てに奮闘する、ワーママ弁護士のブログです。生きてりゃもう御の字。

空気は読むものじゃなくて吸うもの

1. KYに対する違和感

私が学生の頃、KY(=空気読めない)という言葉が流行った。

 

当時の私は強烈な違和感を感じた。

空気は読むもんじゃねーし、吸うもんだし。

だいたい空気読んでくださーい、察してくださーいっておかしくない?

口があるんでしょ?

言いなさいよ?

 

2. 幼児みたいなおばさん

ジムの受付で、受付の人が1人しかいなくて、私の予約のことでマゴマゴして時間がかかっているとき、後ろにいたおばさんが突然

「私◯時からレッスンなんですけど」

と言ってきた。

誰に向かって言っているのかは不明。

 

その時にも強烈な違和感を感じた。

「◯時からレッスンなんだけど、けど何??」

 

まあわかるよ。

つまりは、

私はもうすぐレッスンが始まるので焦っている。だから、

〈スタッフに対して〉優先的に対応してほしい。

〈私に対して〉順番を譲ってほしい。

ってことなんでしょう。

 

でも、「時間に遅れそう」という焦る気持ちを表明しさえすれば、後は周りの人が、彼女にとっていいようにしてくれるって、そんなわけなくない?

それじゃ幼児と一緒じゃない?

「やーだー」って泣きさえすれば、後は全部察して、望む通りの結果を与えてくれるって、それお母さんだけだから。

 

「すみません、レッスンの時間が迫ってるので、ちょっと先に対応お願いできますか?」って言えばいいよね、大人なんだからさ。

 

いやまあ

「あすみませーんどうぞー」

とか言って譲ってあげたけどさ、私お母さんだからさ。

 

3. お願いしないズルさ

家庭内のちょっとしたこと。

例えば、もう少しでゴミ箱いっぱいになるなーゴミ袋替えなくちゃなとか、

もう少しでトイレットペーパーなくなるなー替えなくちゃなとか。

 

「めんどくさー誰かがやってくれるかなー」って見て見ぬふりするのってズルイよね。

 

そのズルさってつまり、

「誰か」じゃなくて特定の相手に対して、して欲しいことを、きちんと言葉にしてお願いして、

相手が嫌な顔するならそれも受け止めて、

相手の嫌な顔見たくなければ自分で引き受けてやる、

っていうのをやっていないズルさなんだろうな。

 

人に何かお願いしてやってもらうのって、自分がやるのと同じくらい大変なことだよね。

 

その大変さを引き受けないのに、結果だけフリーライドするのは、ズルイ。

 

「ちょっと一般的なことを教えてほしいんですけどー」とか言って、無料で法律相談受けようとするくらい、ズルイ。

 

4.ズルイ人は、引き受けるべき負担を負わない人、私に損をさせる人

ズルイ人は、自分が負うべき負担を負わない人。

 

例えば、黙って行列に割り込んでくる人はズルイ。

それば、辛抱して列に並ぶっていう負担を負っていないから。

もしくは、割り込ませてくださいってお願いして受け入れてもらう努力をスキップしているから。

 

「権利の上に眠る者は保護されず」っていう格言がある。

確かにそうだ。自分の欲求を通すには、自分で努力するのが筋だ。

 

加えて、

その人のせいで自分が損してる

って思うときは、ズルイと思う気持ちが強くなる。

 

例えば、事務所で、個人事件ばっかやって、事務所事件を後輩に押し付ける先輩アソシエイト弁護士。

私よりお給料もらってるはずなのに、ズルイ。(=給料分働くべきという負担を負っていない)

さらに、その先輩のせいで、私は大変な思いをしていて、ズルイ。(=その先輩に仕事を押し付けられて、私は損をしている)

 

人は何かを得るならば、何かを失い、何かを負担する。

あなたが/私が、何も失ったり負担したりしないまま、何かを得ようとすれば、その分のツケが「誰か」に回る。

 

負うべきマイナスを避けて、他人に損をさせる人はズルイのだ。

 

5.とりすぎてもいけない

自分で引き受けるべきマイナスを免れて誰かに転嫁するのもよくない。

同時に、自分の被った損害以上に、とりすぎるのもよくない。

 

例えば、不倫しての離婚慰謝料、特別な事情もないのに1000万とか取れちゃったら、

例えば、交通事故、14級にも該当しないのに1000万とか取れちゃったら、

そりゃ依頼者はハッピーかもしれないけど、やっぱりよくない。相手方が負うべき負担以上の負担を押し付けているから。

 

6.正当な利益っていうけど、正当って何?

弁護士の職務基本規程にこんなことが書いてある。

 

(正当な利益の実現)

第二十一条 弁護士は、良心に従い、依頼者の権利及び正当な利益を実現するように努める。

 

正当な利益って何だろう?

 

例えば、今朝上司におはようございますって言ったのに無視された、酷く傷ついたから、慰謝料100万請求する!

っていうのは正当な利益の実現なのか。

 

確かにその人はすっごく傷ついたのかも。

でも、フツーの感覚からしたら、慰謝料100万は正当じゃない。

 

だとすると、正当かそうでないかを決めるのは、フツーの感覚、つまり、世間か。社会か。

 

世間や社会とは即ちマジョリティのこと。

正当か否かを決めるのがマジョリティであれば、マイノリティの正当な利益は擁護されないことになってしまう。

 

だとすると、正当か否かを決めるのは、フツーの感覚に加えて、人の良心か。道徳心か。

 

人は誰しも、自分の中に、良心とか道徳心とかを持っている。

 

例えば、「汝盗むなかれ」っていうのは、窃盗は犯罪ですっていう以前の問題として、良心とか道徳心とかに照らしてやってはいけないこと。

 

法律は、フツーの感覚と、良心・道徳心と、その両方によって定められているのだろう。

 

6.自分に言い訳できない時が一番辛い

自分がズルイことをした時、それがバレたり、指摘されたりすると、恥ずかしい。

 

私はズルイ人間だから、何かっていうと楽しようとして、フリーライドされる「誰か」を見て見ぬふりしてしまう。

そのズルさを指摘されると、すごく恥ずかしくなる。

 

それはきっと、自分に言い訳できないから。

 

ズルイことは良くないって、自分でもよく知っている。むしろ自分が一番わかっている。

それが、小さい頃から植え付けられてきた、良心であり、道徳心。

 

だから、ズルイことをしてしまうと、自分に言い訳できないし、正当化できない。

そんなとき人は、一番苦しくなるんだと思う。

 

例えば、黙って行列に割り込む人。

 

その人は、辛抱して列に並ぶことも、お願いして列に割り込ませてもらうこともせず、一見、マイナスゼロで自分の欲求を満たしたように見える。

でも、その代わりに、「自分自身が恥ずかしい」っていう一番やっかいなマイナスを引き受けているんじゃないかな。

明確に認識しなくても、心の底におりのように溜まっていくんじゃないかな。

 

7.正当な利益だとか良心だとか掴みどころのないことが結局大事

・基本的人権の擁護とか

・社会正義とか

・良心とか

・正当な利益とか

わかったようでわかんない。

 

確かに自分の中にあるけれど、もわもわっとしていて掴みどころのない雲みたい。

雲みたいではあるけれども、確かに自分の中にそういった価値観はあって、それをないがしろにすると、他人も自分も苦しめてしまう。

 

だから、大事にしないといけない。

 

 

弁護士業をやっていると、

「何でそうなっちゃうかなー」

「どうしてここでそういう発想に至るのかなー」

「ちょ…おま…そういうとこやぞ…」

と思うことがたくさんある。

 

他人は自分の鏡だから、他人に対して批判的にも思うポイントというのは、翻って自分の弱点なんだろう。

 

良心や道徳心に反しない健全な欲望を抱き、

中身においても限度においても「正当」な利益を追求するために、

相手に負担をかけることを理解しつつ、

自分の欲求を明確に言語化して相手に伝え、

相手を屈服させることを目指すのではなく、

最終的に目的を達成する。

 

そういう人に私はなりたいし、子どももなってほしいし、そんなお客さんにばかりに来て欲しいっす。